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 既に、新天地に入って半年になる。なじみ具合はどうでしょうか。土曜日、日曜日も、時間が空いていれば会社へ行って、休日出勤の従業員と挨拶を交わす。別に、見張りやチェックでなく、私自身の仕事も兼ねているので、一緒に出勤しているという、同胞感を盛ってくれていると思う。前の会社でもそうだった。
 休日出勤のときの服装は皆さんまちまちである。制服は着ていない。それぞれの個性が現れていて、雰囲気がまったく違っていて、皆さんと新鮮な気持ち出会える。こちらも制服ではない。短パンにビーチゾーリに長袖のシャツ。その格好を足の先から頭の天辺まで、皆さん見て、びっくりすると共に、安心すると思う。皆さんより以上にラフでいい加減な服装だからである。自分たちの自由服装が認められているという印象を与える。
 昼食も皆さんと一緒。4500ルピアの仕出し弁当である。お数は辛いものが多く、卵などは中身をほじって食べている。特に多い吸い物はナンカの実ではなく、実を包んでいる硬い部分、通常は捨てる部分である。魚は小さいので、肉の部分が大変少ない。皮は辛いので、やはり中身だけをほじって食べる。量が少ないのでしょうか、男の従業員はカップめんを持ってきて食べている。私は、ダイエット中なのでこれで充分である。
 一般の日本人は千円くらいの昼食を日本食レストランで食べるのが普通です。私はもったいないと思う。
 前の会社では日本人が言うことを皆さん納得していなかった。日本人がそういうから、そうしているという感じだったが、この会社は、日本人が言うことはもっともだと思っているようで、納得してしたがっているので、雰囲気がいいし、結果もいいように思う。約二年間だが、技術をしっかり伝えたいと思う。
 もう一つ、前の会社の私が指導していた部門を全面的に身売りをする事が決定し、この会社の本社の担当の方と打ち合わせの段取りになっている。インドネシアの押出成形は結局私に集約されることになる。責任は大変重くなる。気楽な新天地というわけにはいかなくなったようだ。


PT,AFMIの恐怖

現TPR
パニック障害克服後再赴任

 

○ 新しい会社(PT.AFMI)
   (塩ビの押出)

押出にかかわって以来40年間、塩ビはやらないといい続けてきた私が、塩ビの押出しかやっていない会社のアドバイザーになってしまった。これもまた、人生ということか。ただし、私の役目は、会社が適当な利益を確保するようにすることだが、塩ビ以外の注文を取ってきてインドネシア人にこれほど違うよ、と教えることも、仕事です。軟質塩ビの成形が出来るだけの設備しか持っていない。それも、十年以上使っているので、ガタが来ている。切断機はギロチン型で、エアーシリンダーを使いカチャコン、ガチャコン切っている。いかにもその装置事態の振動が大きく、すぐ壊れそうな音をしている。案の定、音が変わってくると、いつの間にやら、止まっていて、誰かが修理をしている。

 押出を止めて、一時間そのままにしておいても塩ビだから大丈夫。またいつの間にやら、ガッチャコン、ガチャコン生産が再開される。修理しながら、だましだまし使っている。インドネシア人オペレーターが気の毒に感じる。本人たちはそれが当たり前で、不自由には感じていないようだ。

 何とか、もっと洗練された、スマートに成形できるようにしてあげたい。それに伴って、ロスもクレームも減らして行きたい。

 やり甲斐のある会社に入ったと思う。

 塩ビ以外の押出をやるにはどうしても必要な設備がある。押出機以外の全てである。再赴任して、その日に来た話が、前に指導していた会社の取引先で、新しい仕事を頼んだができないと断られ困って、どこかできるところが無いか探していた会社からだった。その10日後に来た話も同じ状況の会社だった。その次に来た話が射出で取引があったので押出品を頼んだら断られた会社からだった。見積り的にまとまるかどうかは別の問題として、どの話も全て作る事は難しくない。ただし、アジアテックとしては設備的に対応できない部分が有り、早速、本社に設備の増強のお願いをした。
 皆さん太田さんが来てくれてよかったと、言っている。早速、活躍をしなければなりません。装置は足りないし、あっても、金型などの取り付け方も違うし、この状況を脱して、一息着くには半年くらい掛かるでしょう。来る前は新聞広告を出そうかと思っていたが、そんな事をしたら大変なことになりそうなので、しばらくは止める事にした。
 先ずはデンソー(スンタール)の仕事から始めました。どうなるでしょうか。どうもこうも、一年以上知らん顔をしていた製品だ。すばやく対応しなければならないと、思っていた矢先、金型の見積りや原料の見積もり取りだけでも、この会社に取っては経験がない世界なので、いちいち指導が必要だ。
 引取機(自動カッター付き)、巻取機、水槽(バキュームボックス付き)を早速手配した。


 

12月帰国した折、本社を訪問し、詳しい話はさせていただいた。PC(プロダクション、コントロール)のデウィさんにお願いして、チューブの生産の詳細表を作ってもらいました。それによると、G010とG206という黒の原料を使っているものが多い。また、それらのすべてが1m以内の短いものです。それを、長く切っておいて、後加工で、出荷の長さに切りなおしている。この切りなおしの仕事を無くしたい。ヤスフクのプロファイルも後切り作業をなくします。

 それには、以前、書きましたが350万円の自動切断機付き引取機が必需。10人以上の人を減らせる。切断ロスも大幅に減らす。

おそらく、この切断機を入れて、効果を見れば二号機三号機を欲しくなるでしょう。また、それを、使うような仕事(例えば、サンヨー向けの新しいPPプロファイル)を増やしますから、必ず増設しなければならなくなると思う。

また、これを機に、原料がG010でインドカルロとイノアックの製品φ9×φ11 φ9.5×φ11.5 φ10×φ12 φ11×φ13の四サイズを、金型交換することなく、ちょっとした調整と寸法の確認だけで連続して生産する。

実績生産M数 合計では46,000M 一ラインで、24時間運転なら、一週間で終わるでしょう。一週間がオーバーなら10日間で終わるでしょう。樹脂漏れも解消させる。

良いことばかりのマジックの様だが、必ず出来る。

ただし、後工程で、数を数えながらの袋詰めや寸法抜取り検査の工程を設ける。。

とにかく、チューブの今の製造方法はだめだ。いくら、塩ビのチューブは、成形し易いといっても、サイジングは何もしていないし、そのうえ水を掛けてしまっている、見た目、寸法が安定しているようでも、実際にバラツキがおおきい、±0.3などという公差は恥ずかしい。

水槽も見合った形にしないと、いい加減な規制しか出来ない。

PT.Makta
 3日土曜日に仕事をしているというので、訪問してみた。例の資金援助をし立ち上げさせた会社です。この日は、LDPEの再生ペレットの生産をしていた。まだ吐出量が安定せず、ストランドが細くなったり太くなったり手動でスピードをコントロールしていた。また、原料になる袋の汚れがひどく、一枚一枚水洗いをし、粉砕した後、乾燥させなければホッパーに投入できない。ふかふかの粉砕品を乾燥させる装置は手作りだが、なかなかのものだった。しかし、いかんせん能力が低い。なんとか容量がもっと大きい乾燥機を手に入れるようにさせたいものです。
 創意工夫で、頑張っている印象が強く、少し、感激させられた。

第何回目の人生になるのでしょうか、環境をころころ変えているので、もう、分からなくなっています。今までのしり合いの方もまだ多く残っている。又新しい仲間もできるでしょう。これから又どうなるでしょうか、心配も有るが、どちらかというと、期待の方が大きい。多くの人ができる事ではないので、なんとか皆さんの期待に答えられるように、無理をせず普通にやりたいと思う。

 11月1日 明日で、64才、インドネシア再上陸である。上陸場所は再びTIBITUNG BEKASI(チビトゥン ブカシ)のMM2100(ジャカルタから東40Kmにある丸紅の工業団地)にあるPT.Asiatec Fujisawa Manufacturing Indonesia(PT.AFMI)という会社です。本社は神奈川県寒川町の藤沢電工(株)です。以前もMM2100内でしたから、環境については全く問題なし、主たる仕事は会社が儲かるようにすることです。
 目的は、はっきりしているし、全社的に考えなければならない立場になった様だ。早速、今までペンディングになっていた生産の話を進めたいと、相談された。積極的にお手伝いし進めたいと思う。
 
 会社
 何を作っているかというと、軟質塩ビが材料での押出製品(ガスケット、ドアシールというかクッション)の製造と後加工が主です。客先は冷蔵庫メーカーが大部分です。
 まず、この会社で何ができるのか、なにを優先してやればいいのかを一ヵ月半ほど掛けてチェックしようと思う。その後、12月末の帰国の時、準備をし、来年早々から、本格的に動き始めようと思う。
 現状のものはほとんど問題はないようだし、組織的にも完成されているようなので、私から口出しををする事は無いようだ。逆に、私のほうが、その組織になじんで、物事がスムーズに行くよう利用できるようにならなければならないと思う。




 住環境

 住家はジャカルタ、チカンペック有料道路でジャカルタからチカランの次のCikarang timur(チカランティムール)というインターチェンジで下りると直ぐの分譲住宅地デルタマスの中である。何もなかった荒涼たる土地に高速道路沿いということでインターを作り数年前から開発された新興住宅町だ。以前、何回か、下見に来た事があったが、そのときは住もうとは思わなかった。今回、家賃の安さを最優先にし決めた。勤務地まで渋滞とは逆方向なので、20分ほどで着く、カラワンやチカランのゴルフ場は10分ほどなので、交通の便もよいところです。ただ、まだ入居者が少なく大変寂しいところだ。経験のない人がこんな場所に住まわされたら、直ぐ、帰りたくなってしまうでしょう。
 今はもう雨季に入っている、いきなり大雨になり、天窓のような洒落たつくりのところから、どしゃぶりに雨が部屋に吹き込んできた。居間から台所に行くのに、傘をさしても、びしょ濡れになってしまうほどだ。さすが、インドネシアと感じされられる。早速、修理の工事を手配してもらった。
 しかし、現在は引っ越してココにいない。移転先については
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage005.html
 新しいホームページへどうぞ!!!



ジャワ原人
 特段変わった事がないので、ちょっと、スラバヤからチカランへ移動する途中、ソロに一泊した。ついでにソロから北20kmほどにあるSagiran(サンギラン)へ行き、ジャワ原人が発見され、博物館に展示してあるメガンントロプスを見によった。本当の山の中の何もない場所で、よく、見付かったものだと感心するが、如何して、この汚い骸骨が人間のルーツだと目を着けたのか不思議です。捨てなかったのが不思議です。
 


02 11 2007

Special Report From Garmany