3月9日 (^_-)-☆
今朝、4時頃出発、ここ二年ほどは一人で来ている。パンガンダランだけでなく、どこへ行きにも一人がいい。連れにたよる必要が全くなくなったので、連れが居るのもいいが、一人の方がもっといい。とにかく、自分が思うようにやればいいのだから、これ以上の自由は無い、それに、責任もない。と言いたいが、明日、連れが来る。そのためのお膳立てをしなければならなかった。せっかく来てもらうのだから、出来るだけ満足してもらえるように、一応、気を使う。
久しぶり、半年ぶりになるだろうか、今日、会った人たちは、皆さん、同じことを言う。シブックかと。シブックではなかったが、適当な連休がなかっただけ、土日の二日だけでは、来ても、何もすることができない、最低三日は必要だ。
途中の水田地帯の風景、水浸しになっている
チンベダックとランブータンの小さい物を買った。
泊っているホテルの前の様子、東海岸通りです。
3月10日 (^_-)-☆探す
今朝の西海岸へ出てみたら、見事に、ヒト人ひと、で、埋め尽くされていた。
ラフレシアの原型そのままにまっ黒けになっている。多分、咲いてから二週間後位だと思う。
それを、後ろにし、チャガールアラムに入った。喧騒が嘘のよう、別世界、聞こえるのは鳥のさえずり、セミの声、猿の声、そして、風で揺れる木の葉の音、そして、自分たちが進む音、今朝までの雨で、コケが生えた岩も木の根が露出した場所も小さな川の淵も、滑りやすいし、ぬかるみに、足が取られそう。気を付けて、と、言いながら、慎重に、進む、最初のスポットに到着、匂おわない。今まで会ったことがある場所を次々と通る、その都度、匂うので、絶対、見つかると確信しながら、その辺りを捜しまっくった。傷だらけ、道なき急斜面の上り下り、疲れや歳を忘れて、草木や蔓をかき分け探すが、ついに、見つからない。見つからないまま、チュルック パナンジュン(先端の滝)の上で休憩、いつもなら、ここまでで、二つ三つ、多ければ五つくらいは見つかっているはずだ。がっかり、意気消沈のまま、立ち上がった。もう一か所、期待ができる場所を通る、それに,賭けて歩き出した。そして、そこも過ぎて仕舞った。もう駄目だ。
完全にあきらめていたその時、強烈な匂いを感じた。ところが、姿は見えない。またか、と思いながら、今度は、風向きがはっきりしていた。風上に向かって、急斜面を登って行った。そして、ついに見つけた。初めてこの場所で会うことができた。既に二日ほど過ぎていて、色がくすぶり始めていたが、とにかく、開いている花を見つけた。やはり、ここの感動は素晴らしい。
日本から、この為にやってきた、女性が、アウェン君を訪ねてきて、ラフレシアに会いたくて、やってきたと言ったとか、私のウェブサイトから彼を頼りにしたようだ。アウェン君は、一緒に入ったが、見つからず、6時間も探したそうだ。彼女の真剣な願いが感じられたそうだ。そして、ついに、やはり、匂いから、見つけることが出来たそうだ。その時の彼女の感激振りは、忘れられなかったとか、HPに保存してある写真を見せてくれた。彼女、きれいな方で、似会う、メガネをかけていた。
No HP Awen 081323780219 自然保護区の西海岸の入り口のガイド詰め所にいる
No HP Iwan
081563854597 サーフィンのインストラクターをしているので、西海岸でサーフィンをしていることが多い。時にはバトゥカラスなど、違う海岸に行っていることもある。
ところで、今、日本人の若者が三人(愛知二人、福島一人)、サーフィンをしに来てりると、報告あり、彼らは、バトゥカラスやバトゥフュー辺りでやっているという。
先ほど夕方6時過ぎの西海岸、どうです、この違い。
ラフレシア 急斜面 ジャングル
3月11日 (^_-)-☆監獄島 1516 ヌサカンバンガンです。友人とその娘さんが来ているので、一緒に、早朝から、ヌサカンバンガンへ行くことにした。目的は無人島のような場所で、野趣豊かに、そして贅沢な食事をするためでした。
http://otaenplaext.net/newpage21.html
6時に西海岸から出発、半島の先端を迂回し、東に向かう。怪しい天気から、小雨模様になり、そのうち、ちょっと大粒の雨が降り出した。行程の中間ほどでした。これは、もしかしたら、斬斬な目に会うかもしれないと心配したが、運がよいことに、島へ近付くに従って雨が小降りになってくれた。海岸へ着く前に、漁師の船に近付き、ロブスターを売ってくれと話しかけたら、持っていて、売ってもいいよということになり、交渉の結果、1Kg35万Rpで、手に入れた。
10年以上前には10万Rpだったのに、かなり、高くなっている。また、ロブスターの価格について、その種類によってKg15万〜75万Rpと大きく違うことを今回初めて知った。しかし、それが、私にはわからない、種類を知らないのです。バトゥとかムティアラとかバティックなどがあるらしいが、それだけではない。これは高い、これは安いと言われても、何が何だかわからないので、とにかく、そこにアルロブスターで一番安い種類を買うことにしている。味の違いを私には感じることができないし、すべて、美味しいと思うからだ。とにかく、洋上取引によって、ロブスターは手に入れた・魚は出発前に米やアクアなどと一緒に買って持っていた。
火をおこしたり、調理をしたり、コメを炊いたりするのは、私たちではなく、地元のガイドと小舟の持ち主たちです。私たちは、そこらあたりを散策したり、泳いだりしていればいい。1時間ほど後に料理が整って、食べましょうということになる。私は何回も色々な人を連れて入っているので、それほど感激はしないが、初めての人は、こんな、ぜいたくな経験で出来ることを感激してくれる。
焚火の中に生きたロブスターを放り込んで焼いて食べる。気の毒に思うが仕方がない、次第に赤くなってゆく、少し覚まして、手でちぎるように殻を剥がして実を出し、そのままかぶりつく、それだけでも、この雰囲気で食事をするだけでも、味のことはどうでもいいが、味も本当に美味しく感じる。醤油を待ってくる人が多いが、これも、美味しさを増すには効果的だと思う。ワサビやショウガをすった物を持っている人もいた。それぞれ、満足するようだ。
何度、経験してもいい物だ。
満足して帰路に就く、半島へ戻ったのは12時過ぎだった。シュノーケリングを楽しんで、多分、これにも満足してもらって、その日のメインの行動は終わった。
今日の夕日も綺麗だった。バトゥ フューでした。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00086.html
贅沢 感激 ニクマッティ
3月12日 (^_-)-☆Surgaから帰り 1517 9時に出発、16時に家に着いた。途中、ポンパベンシンに寄って、給油とトイレとブログの送信をした。ロスは30分でした。順調に近かった。
パンガンダランは、すでに乾季に入ったようだ。ヌサカンバンガンで泳いだり、戻る途中、バトゥ ラヤン付近で、素潜りに挑戦、などで、肌を出す機会が多かったので、見事に日焼けをしてしまった。背中や肩がピリピリ、痛くて、気になる。
出発前にウミさんのレストランに寄って、挨拶をすませたところで、一人の女性が近づいてきて、エビのてんぷらを買って下さい、と、日本語で言ってきた。あなたは日本人でしょ、韓国人には見えない、と、付け加えた。びっくり、日本語がこんなに上手な人がパンガンダランにいるとは全く情報が入っていなかった。15年以上通って、初めて、日本語をまともに話せる人に会った。
聞きもしないのに、身の上話の様なものをし始めた。急ぐので、ごめんなさい、と言いながら、Oishi dan freshと書かれた試食用パックから、摘まんで、食べてみた。美味しいとは言えない。しかし、四パックを2万Rpで買ってやった、ハイ、さようなら、と言いかけたら、横から、今度はイカンアシンの干物を買わないかと他の女性が寄ってきた。私の本命はそれだった。それを買いながら、No,HPを教えて、ということになって、お互いのNO,HPを交換して、またいつか、会えるといいですねと、言って、別れた。
見かけは、理知的、何故、こんなところで、観光客の間を回って、自分で作ったという、小エビのてんぷらなど売っているのでしょうか、似合わない感じがした。チカラン辺りへ出てくれば、日系企業に勤められそうなのに。私が次に行くのは何時になるかわからないが、話を聞いてみたい気もある。SMSで、英語で一通りの挨拶の後にフェースブックのアドを書いてあった。
今朝のサンライズ、三日目にして初めて、まともだった。しかし、寝坊して、日の出に間に合わなかった。がっくり、15分ほど遅かった。
8時ごろの西海岸、ヒンドゥーの新年、ニュピで祭日、ナショナルホリデーだが、土曜日に比べると半分ほどの人出だった。
帰る途中の土産物やだが、手造り雑貨屋、おもちゃ屋という感じ。昔懐かしい、シュロの箒もつるしてあった。子供頃、荒物屋だったので、売っていて知っていた。今の若い人はシュロやジュートなどと言っても知らないでしょうね。
分厚くて高級感があった。座敷を掃く箒だった。それに比べると、今のインドネシアの箒は薄くてへなへな、つるして売っているのは、当然だ。薄っぺらの上に、インドネシアでは、柄の先端に紐で輪っかを作って箒を吊るして置く習慣がない。立てかけて置くだけだから、へたってしまって、穂先では掃けないようになってしまっている。安物中の安物という感じ。何故、こんな箒しか思いつかないのか、不具合があるのは誰もがわかっているはずだから、改善しようとする人もいていいはずだが、いないらしい。子供の頃のシュロの箒は値段が高く高級箒という印象だった。それでも日本への土産にとして二本、」手に入れた。
パンガンダランからグリーンキャニオンへ向かう道は、今まで経験がないほど、酷い波打ち状態だった。25kmの内20kmはモーグルコース状態だった。対向車の左右に傾きは、こちらに倒れてくるような恐怖を感じるし、事実、大きな岩を積んだトラックが横転していた。対向車がすれちがうときにお互いのトラックが中央寄りに傾いて、接触する光景は珍しくなかった。お陰で、30分もあれば行くところに二時間近くかかってしまって、船の最終に間に合わなくて、単に凸凹道を三時間ほどかけて往復しただけだった。一週間に何万人も訪れる観光地なんだから、舗装はしなくていいからブルドーザーで均すくらいのことはしたらいいじゃないのと言いたい。
日本人三人の若者は船乗り場のちょっと先の橋を渡って、川の向こう側に沿って海に向かって行くとバトゥ カラスという波乗りスポットがあって、そこまで、通っているそうだ、こんなひどい道、良く行くよと思う。それだけ、魅力的なのでしょうね。